連帯責任と社会の縮図

 連帯責任、それはチームの誰かが犯したミスを全体で責任を被ることです。この語を好きという人はまずいないと思います。現在では諸悪の根源みたいな扱いをされて、教育現場でも忌避されていることかと思います。しかし、連帯責任は本当に悪なのでしょうか?

 企業など組織で不祥事が起きると、世間から叩かれます。実際に不祥事を犯しているのは、組織の中の極少数というのが殆どの場合かと思いますが、組織丸ごとまとめて叩かれます。

 「組織には良い人もいるんだよー」とは、お約束のコメントの一つです。

 そう、結局世の中は組織単位で動いているんですよね。犯した個人を特定することはできるはず、科学技術の発達した現代なら造作もないことかと思いますが、人間の思考回路というのは自ずと単純を求めます。いくら科学技術が発達しても、人間は人間のままです。煩雑な個人や小グループの理解よりも、その大きな元組織を叩いた方が楽だからです。

 そこで全ての盾となる品質部門の出番があるわけです。新入社員では到底務まりません。

 未来を担う若人が集まる教育現場は、社会の縮図です。ならば、教育から社会を変えていけば良いではないかという発想に至ることがあります。しかしそれは歴史が証明しているように、危険な発想です。そうではなく教育とは、現実社会と折り合いを付けながらまた協調しながら、漸進的に社会を良くしていく地道な作業だと思います。その意味でも、企業とのコミュニケーションは必要不可欠です。

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続続・教育指導におけるISOとは?

 前回前々回でまあ、教育指導におけるISOについて考察してきました。

 目下就職活動の時期です。この少子化かつ人手不足が叫ばれるご時世、学生さん達の企業内々定は思うがまま・・・というわけではないようです。そりゃそうです。かつてバブルでの過剰人員により企業はイタイ目に遭っていますから。少子化でさらにコロナ禍による諸活動控えもあって切磋琢磨の不足が懸念されるため、企業が外国人の積極採用に舵を切るのも避けられないことかと思います。背負っているものが違うからです。右側の人は嫌でしょうが。まあ、今年度は進路指導担当ではないので、端から見ているだけですけどね。

 バブル世代は私の上の世代です。私は氷河期っていうやつですね。しかしアカデミックが長かったので、実感はないんですけど。その栄光のバブル世代は、今やリストラ祭りです。正に盛者必衰の理をあらはすです。

 しかしながらISO、つまり品質を理解しておけば、企業内々定とその後の人生なんて思うがままだと思います。企業は目立つ開発部門がなくても潰れはしませんが、品質部門がしっかりしてないと明日早々には潰れます。いくら開発部門が旺盛で、野球で例えると重量打線で10点取れるチームであったとしても、守りの要の品質部門が愚かであれば11点取られて負けます。ご飯が食べられなくなります。

 ホームページなどで簡単に情報収集できる企業の概要や製品情報をうまくまとめられても、採用人事の人は「またか・・・」と鼻○○をほじるかもしれませんが、品質について語ると、人事は目を丸くして興味を持ってくれるに間違いありません。そして来春の入社式時点から周囲に差をつけることができます。

 組織である以上、企業であれ学校であれ、品質の整備は必要不可欠です。「品質を理解し務めることができる者こそが真のエリート」だと思います。企業人の学歴とは結局、そのための下準備にしか過ぎません。下準備の段階でマウント合戦しているのは、滑稽の極みです。

品質を理解し務める者こそが真のエリートです。
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