大会の本部は工学部でした。キャンパスの中程にあります。工学部という組織は最大規模の組織ですが、その建物群を丸ごとすっぽり入れても、自然豊かな広いキャンパスです。発表は、こちらのA会場でした。
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大会の本部は工学部でした。キャンパスの中程にあります。工学部という組織は最大規模の組織ですが、その建物群を丸ごとすっぽり入れても、自然豊かな広いキャンパスです。発表は、こちらのA会場でした。
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インキュベーションホールを無事終えてからの翌々週、第87回応用物理学会秋季学術講演会に参加しました。昨年に続いて今年も春はお休みしたので、1年ぶりです。今回は北海道大学 札幌キャンパスでの開催でした。北海道へは、学会で数年に一回の割合で来ます。前回は2022年のIVC-22でしたから、4年ぶりです。今回は、気楽な一人旅でした。発表件数は自分の1件だけとしましたが、なんと!!、最終日最終回に登壇ということになりました。
遠路のため、飛行機の安い便を探したら遅い便となり、札幌への到着は夜になりました。この業界の出張費は、基本的に自分の研究費から賄いますので、過剰な出費は自分の首を絞めるだけです。とにかく安くです。
ホテルへ着いて、一息しながらニュースを見ました。九州では左サイドの情報は地震ですが、こちらではヒグマでした。お国柄ですね。予想最高気温も10 ℃以上低かったです。
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プラズマエレクトロニクスインキュベーションホールから戻って間もない9/1(火)は、岡山で日本医用DLC研究会の集まりがありました(※なので、高専CONNECTは欠席でした)。以前に述べましたとおり、ダイヤモンドライクカーボン(DLC)の生体内医療材料へのコーティング応用を主眼とした医工連携の集まりです。今回は国際協業推進に向けた勉強会となりました。
一泊した翌日9/2(水)は戻るところ、途中で広島に立ち寄り、同地企業との打ち合わせに臨みました。時間に余裕があったので、こだま号でのんびりと向かいました。車両は旧ひかりレールスターの700系7000番台でした。各駅停車でラッシュ時間でもないので、車内は広々でした。ノートPCで仕事しつつ行きました。コンセントは付いてないので、バッテリー駆動で。
広島駅に着いたら、腹ごしらえにラーメンと行きました。広島ラーメンは優しい味で、主食というよりはシメの一杯という感じです。
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近年は改善の傾向があるとはいえ、一般に公務員の接客というものは、批判されるべきものかなと思います。民間企業だったら、上司、果ては社長に激オコされて厳重注意処分だよなーと思うことがあります。
一般市民を相手にする市役所の窓口とかは随分変わってきたなと思う一方で、若い学生さん達を相手にする教育関係施設ではどうかなと思います。自分自身が学生の頃、窓口対応に「何じゃこいつは!?」と憤り、「決してこういう人間にはなるまい」と強く思ったことがあります。
民間企業では、接客を怠ると顧客を失ってしまい、最悪倒産の恐れがあります。しかし親方日の丸ではその心配はありません。子供時代に国鉄の分解民営化を目の当たりにし、JRに変わって随分愛想が良くなったなという記憶があります。
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8/27(木)~29(土)の3日間、第20回プラズマエレクトロニクスインキュベーションホールへ参加しました。これは、応用物理学会のプラズマエレクトロニクス分科会が主催しているが学生さん向けの合宿型勉強会です。一般に、夏休みにはこの手の合宿型勉強会が、各学問分野の専門学会で広く行われています。「夏の学校」とか「サマースクール」とか呼ばれているものです。
ただ、インキュベーションホールが珍しいのは、学会の幹事が運営しているという点です。多くは、博士後期課程の学生達ないしポスドク・助教クラスの若手研究者を中心にして、自主的に運営されるものかなと思います。
私も学生時代、電気化学会関西支部のサマースクールに参加したものでした。記憶に残るのは・・・、記憶が飛んだこと以外にないです。帰りのJR新快速車内がキツくてキツくて、出禁くらってはいけないと我慢したものでした。
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2026年4月~2026年9月の学会参加予定です。
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古来、名を成した英雄には優秀な軍師(懐刀)が付いていました。古代中国の劉備には諸葛亮、日本の戦国時代には豊臣(羽柴)秀吉に竹中半兵衛&黒田官兵衛、そして近代に至って東郷平八郎には秋山真之です。
私も若い頃は恥ずかしながら、「○○先生の懐刀」と評されたこともありました。しかしその懐刀は今や懐から出でて、独立研究者になりました。高専は旧帝国大学のような講座制ではないので(※一部そのようなところもあるとは聞きますが)、独り一国一城の主です。
教育や研究業務を進めていく際、調べたいこととか意見を伺いたいこととかが出てきます。悲しいかな、次から次へと降ってくる仕事のために、そのようなことに割く時間は限られます。しかし現在は、生成AIという便利なツールがあります。
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7/28に起こった先の地震により、以後その週は全て休校になりました。前期末試験初日でした。試験期間は5日間設定されていますから、残り4日間は翌週に持ち越されました。しかし開講期間に変更はなく、自ずと日程が詰まりました。通常4限までの一日の授業時間が5限となりました。1コマ90分なので、受ける学生さん達は大変だったと思います。こちらは試験日の翌日に採点返却という科目も生じまして、普通に過ごしていたら間に合わないので、誰もいない早朝から採点していました。当然ながら、結局地震で誰一人幸せになることはありませんでした。
8/10(月)に何とか予定通り前期は終了しました。学生さん達は解放されて大喜びだったでしょうが、こちらはレポート採点が残りました。成績報告〆切も変わらずお盆明けすぐいうことで、100を超えるレポート評価と共に過ごすことになりました。評価指針は述べたとおりです。
おまけに今年は学会関係の業務が多く、加えて科研費を始めとする研究資金獲得のための書類も溜まっています。専攻科生達が皆巣立った今年度は難なく過ごしていますが、来年度以降の運転資金が必要です。
ですわ。
○働基△法? 何それ、美味しいの?
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言うまでもなく、採点・評価をする立場です。試験は基礎を重視した導出&論述形式としている上に、実験・実習のレポートが山積しますから、評価に時間を要しています。いやむしろ、時間をかけて学生さん達の能力を見出すよう心がけています。マークシートを含む選択肢方式や迷いのない語句記述方式だったらどんなに楽だったかと、よく思います。
しかし教育の本質は、「学生さん達の能力を伸ばすこと」にあります。クイズ番組じゃないんだから、これらの方式で伸びるとは到底思えないので、時間をかけているわけです。墓下で後生の賢人達に非難されたくはないですからね。
さてレポートは、下記の基準で順に上げていっています。
です。
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8/31(月)と9/1(火)に、東京都立産業貿易センター 浜松町館において、「KOSEN CONNECT」というイベントがあります。
国立高専は、北は北海道から南は沖縄まで全国51校(55キャンパス)あります。これらは国立高専機構の下で有機的に繋がっていて、各校はその支部・支店みたいなものです。国立高専は日本最大の高等教育機関と言えます。
国立高専が集まるイベントは何かとあるのですが、このKOSEN CONNECTは研究面での技術見本市です。
有明高専からの出し物の一つとして、鷹林研究室のポスターが掲示されます。
しか~し、私は他用のため「欠席」です。すいませぬ。でも、告知まで。
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衆愚政治とは、民主政治の忌むべき陥穽として知られています。陥穽は「完成」と同音ですので、行き着く先とも皮肉に捉えることもできます。
遠い未来、Reinhard von Lohengrammは、「民主共和制とは、人民が自由意志によって自分たちの制度と精神をおとしめる政体のことか」と厳しく批判するようです。
衆愚の一つの事例として、「事なかれ主義による分散」があると思います。限りある資産資源を、皆に良い顔をしようと公平に分散させる。一見平等で素晴らしいことのように見えますが、そこにvisionはありません。銘々のベクトルがアサッテの方角を向き、合成ベクトルはゼロ、結局何の成果も得られずただの無駄遣いに終わります。そう、掘り下げていった先にあるのは、無責任なエゴイズムです。
満遍に花を咲かせたとしても、手入れなく遠からず枯れさせては意味がありません。
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8/2(日)は、九州大学 筑紫キャンパスへ共同研究打ち合わせに行って来ました。元々平日に設定していたのですが、今回の地震により休日のこの日にずらしました。九大までは被害は及ばなかったようです。
有明だけでは十分に研究を遂行することはできないので、近隣大学の先生方に装置をお借りしながら共同研究を進めています。有明は、福岡県・熊本県・佐賀県3県のヘソに当たるような立地ですので、九州自動車道や有明海沿岸道路を使えば自在に移動できます。
アカデミックに忘れ物をしたとはいえ、後先考えずに6年前ここ有明にやって来ました。研究室には、なーんにもありませんでした。いや、机だけはありました。その後、スペースを確保して基幹装置である光電子制御プラズマ装置を譲り受けましたが、更なる展開は自分で切り拓いていかなければなりませんでした。デバイスを作ろうにもクリーンルームはなく、分光解析をしようにもラマン分光装置も光電子分光装置もなく、当初はどうしたものかと頭を抱えていました。
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