タクトを揮う

 明けましておめでとうございます。

 只今、冬休み(のはず)です。記憶が正しければ。と言いますのも、この年末年始はひたすら自宅で授業資料のスライドを作っています。コロナで帰省もキャンセル。休む暇なんぞありはしません。

 しかし寝食を忘れて励むことは、誇りであり、義務であり、また喜ばしいことと思います。まぁ程度にも依りますので、業務はほどほどにですけど。ほどほどにですよ~。

 第一に誇りとは、博士(ドクター)としてです。博士とは、世の中で指導的立場にあってリーダーシップを発揮すべき人間に与えられた称号です。大学院生時代、「君はリーダーになるんだよ」と、恩師に常々言い聞かされていました。正に「Noblesse oblige」です。ちなみに友人は別の先生に、「俺はドクターだ。俺を雇ったら良いことあるぞ。俺を雇え!!」、という就活のアドバイスを受けていました。いや、さすがにそこまでは言えなかったな・・・。

 第二に義務とは、教育を通じて教員として学生さん達の未来を保証することです。歳を経た大人にとっては高々一年ですが、若い学生さん達にとっては貴重な一年です。大人から見れば、全学年大して変わらないように見えもしますが、彼らの目線から見れば、一年の違いは大きな違いであり、彼らの一年一年は勝負です。

 第三に喜ばしいことは、必要とされることです。お金が儲かる、スポーツでエースになる、異性にモテるなどなど、自分にとって有益な状況を得る根源にあるのはいずれも、他人に必要とされているということです。これらのような事例を願っている学生さん達は多いですが、彼らは自分が必要とされる状況を作る努力をしているのかなと思うことがあります。顔と思考が幼いなと思うこと度々あり。いやはや、年が明けてまた歳を取りましたな。

 さて旧年を振り返ると、前期は着任早々、学生さん個々の顔も何もかも知らないままに、オンライン授業をすることになりました。PCの前で独り言でした。

 オンライン授業は、一度にたくさんの学生に配信でき、かつ録画もできるので合理的という話があります。今後も進めていこうという話もあったりします。

 合理的というならば、同様にコンサート (or ライブ)は世の中に必要ないことになります。だって、デジタルオーディオで気軽に聴ける時代なのですから。コンサートホールって、無駄な箱物になりますね。

 でも、コンサートがなくなることはありません。

 授業も同じこと。クラスのレベル、知的背景、他科目とのバランスなどに合わせた授業資料をつくり、進度を調整し、雰囲気をつくっていきます。

 教科書の類が世間に溢れていることからすると、非合理な作業と思えますよね。歴史と伝統のある電気磁気学(電磁気学)では、全世界で星の数ほど教科書はあります。でもね、著名ないし適当な教科書を流すだけで、良い授業が作れるでしょうか。楽譜とそれを読み込むデジタル音源だけで、人を感動させることができるでしょうか。

 当然のことですが、学生さん達は生き物です。個々違います。その集団であるクラスも、個々全然違います。電磁気学で例えると、彼らは静電界ではなく動電界です。ゴールという電位は同じでも、rot E ≠ 0 です。その道程の数は無限です。

 リーダーシップとは、誇りと義務と喜びを持ってタクトを揮うことです。そこに、デジタルな四角四面の公式やマニュアルはありません。

 皆さんは、合理性の先に何を求めますか?

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