続・経済に思う

 前回の続きです。

 周知のように、只今コロナ禍で自粛のご時世です。引き続き社会を人体に例えますと、お金というの血液の巡り(経済)が悪くなっていますので、一部器官すなわち飲食業などの業種は大ダメージを受けています。

 血の巡りを完全に回復するには、当然医薬品でコロナを克服するしかないのですが、それまでの間は人体を無事保っておかなければなりません。

 そこで必要なのが、金融です。具体的には、株式投資がその一つですね。ちょっと考えてみたいと思います。

 日本人には、金融に良いイメージを持っていない人が多いです。悪く言えば、金貸しのヴェニスの商人だからです。

 本来金融とは、社会の必要なところに必要な分のお金を用意することです。お”金”の”融”通です。美味しいレストランの開店資金とか、すごい装置の研究開発資金とか。将来世の役に立つものを育むために必要な社会的行為です。言い換えると、通帳に眠っているお金さん達に働いてもらうことです。

 ただし、タダでお金を融通するのはモラルハザードを引き起こしかねませんから、書類審査や利息などが付きます。この営利的側面が儒教が嫌う行為なので、金融は封建社会では受け入れられてきませんでした。イスラム教でもそうですね。営利なしのザカート(喜捨)です。

 そんなわけで日本の歴史を紐解くと、経済の悪いときには緊縮や自粛に走ってきました。江戸時代の正徳の治、享保の改革、寛政の改革、天保の改革、皆そうです。荻原重秀や田沼意次は評価されてきませんでした。時代をもっと遡れば、徳政令です。お金は嫌われてきたんですね~。改革や徳政令は一時しのぎにはなったでしょうが・・・。

 血の巡り(経済)が悪いときは、まずは輸血(投資)をしてから、回復の策を練るべきかと。その器官はダメになるかもしれませんが、できるだけの措置はしないと。安全な結果論から批判する人はおいといて。

 西洋キリスト教世界でも同様の倫理観でしたが、宗教改革で克服できました。ありがとう、贖宥状(免罪符)。でも年代をよく見ると、シェークスピアって、ルターやカルヴァンよりも後の世代なんですね。宗教改革の方がヴェニスの商人よりも先行しているって、面白いですね。

 日本に戻りましょう。明治になると、その西洋から金融を是とする資本主義が導入されて、金融を行う銀行ができました。資本主義の導入によって近代日本は劇的に発展していくのですが、現代でも金融に嫌悪感を抱く人達はいます。

 昔、中学生の時のLHRだったと思います。担任の先生が、進歩史観から江戸時代の身分体制と貧しさを批判するような話をされました。私は感想文に、「米(コメ)中心主義をやめて、金融経済的なことしなかったからだ云々」と書いた記憶があります。貧しさの原因を身分制に求めて政治体制を批判したかった担任には嫌われたものでした。

 そんな面倒な子が大人になりました。直近は企業人だったので、金融指標の代表である株価は常に気になります。どうやら世間には幸いにも、輸血の考えをもっている人々が多くいるようで、こんなご時世でも株価は好調です。どこかの政権時の株価がウソのようです。未来は明るいでしょう。

 自宅の近くにパチンコ屋があります。まあ、どこにでもありますね。『「寺銭」という控除率が存在することで、数学的に絶対に儲からず損をするパチンコ(ギャンブル)をする暇があったら、株価指数でも見ろよ・・・』と、コロナがあっても大雨が降っても繁盛し続ける前を通る度に思います。

 株式投資に寺銭はありませんし、投資は人助けでもありますよと。

 さてさて、そんなことより年明けてから必要業務を片付けておかないと。まだ2020年、まだ時間はあるぞ!!

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