開講期が瞬く間に過ぎ去り、春休みとなりました。だからといって教員の仕事が減るわけではありませんが、学生の皆さんはゆっくりできる時期と思います。
この時期です。ちょっと専門から離れて、歴史からこれからを考えてみましょう。
昔々高校の時、世界史の先生が仰せになったことを今でもはっきりと覚えています。「歴史は、中央集権と地方分権の繰り返しだ」と。
世界史の話で初めておいて何ですが、世界史ではそのイメージが掴みにくいので、日本史で例えます。有史に残る縄文・弥生時代が地方分権だったのは、間違いないことでしょう。これをヤマト王朝が中央集権化し、その天皇制は、飛鳥・奈良・平安と、永らく中央集権を支えます。400年にも渡った平安時代の中頃から、関東という東部フロンティアの開発が進むにつれて武士階級が勃興し、徐々に中央集権は廃れてきました。律令制度の形骸化からも伺えます。
源頼朝により武士の世となった鎌倉時代は、鎌倉という都がありつつも、地方地方の武士を主とした地方分権の時代となりました。ところが源家将軍が3代で滅び、北条執権体制が得宗専制へと変遷していくことで、皮肉にも武士の世は中央集権化していきました。元寇がこれに拍車をかけました。
北条中央政権が後醍醐天皇と足利尊氏により倒れて、代わりに後醍醐天皇による建武中央政権ができました。でも時代の流れは地方分権に傾いていましたから、これもわずか3年で倒れ、結局足利尊氏による室町幕府となりました。足利尊氏を倫理的に非難する声もありますが、彼は時代の趨勢、世の中の求める声に素直に従っただけのことです。
時代の求めた足利政権は、三代義満の強力なリーダーシップで全盛期を迎えます。しかし地方分権の極地とも言える足利政権は当初から基盤が弱く、次第に安寧を維持できなくなりました。ほどなく戦国時代を迎え、その終末に織豊体制による中央集権が盛り返してきました。糾える縄の如しです。
でも武士という、「我こそは!!」という存在は、本質的に分権を求めるようで、続く徳川幕藩体制は穏やかな地方分権に落ち着きました。
このように徳川家康により軟着陸させられて成立したPax Tokugawanaは、250年続きます。しかしそれも帝国主義の上喜撰で破られ、明治で再び中央集権となりました。これは先の昭和の戦争でも滅びず、高度経済成長を経てバブル崩壊まで100年以上続きました。そして平成を経て令和の現在、インターネットインフラによる情報通信の高度な発達により価値観が多様化し、針は地方分権に傾いています。
前置きがとても長くなりました。さてこの地方分権の時代、人々に求められるのは、「個の力」だと思います。個の力って何でしょうか? それは、「今を説明できる力」だと思います。
これは結局、分権という多様性にも繋がります。無数で多様な価値観の中から自らにフィットしたものを選び、それを自らの色で表現していく。
これからの時代、形のないもので自らを支えていく強さが求められます。面白い時代であり、過酷な時代でもあります。そう、「人は自由に耐えられるか」です。学生の皆さんには、自由の効く学生時代に色んな無形の積み重ねをして、「今を説明できる力」を身につけていって欲しいなと思います。
それってつまり、「教養」というものなんですよね。
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