人もコンクリートも

 嗚呼、GWが明けてしまいます。結局何かしら業務に追われて、完全OFFとは程遠いvacationでした。教員やっている人は教員の仕事が好きでやっているものなのですが、それでもね~。

 なぜこんなに忙しいのでしょうか? 考えてみます。う゛~ん。

 理由は、「人手が足りない」ということに尽きると思います。「効率化」すべきところはあるでしょう。しかしこの言葉は本義的に、抜本的な改善を意味するものではないと思います。

 企業人時代、小さな会社だったので、人手が足りていませんでした。業務は何でもかんでもやっていました。おかげさまで、何でもかんでも通じることができるようになりましたけど。禍福は糾える縄の如しです。

 しかしその人手の足りなかった企業人時代と比較しても、今の環境では少ないです。この業務に対してこれだけの人員かよと。

 高専は公的機関なので、税金で成り立っています。つまり、私も公務員の一人です(※独立行政法人なので、厳密には異なりますが)。高専は大学同等の設備を、大学よりもはるかに少ない学生数で、大学の半分程度の授業料で揃えるのですから、授業料収入だけでは運営不可能なことは明々白々です。

 マスコミは、公務員を目の敵として叩きまくってきました。自分達の電波利権と横暴は棚に上げてね。それでも昔は、マスコミを使わないと発言すらできませんでした。当然検閲がかかりました。しかし今はネットの時代。誰でも発言できます。良い時代です。

 最近、井上純一氏の「がんばっているのになぜ僕らは豊かになれないのか」(KADOKAWA)の本を読みました。非常に珍しく、公務員の増員が述べられていました。公務員は奴隷ではありませんよね?

 それでは、国の文教予算は枯渇しているか? 研究予算という視点でいうならば、かなりの予算が割かれています。特に大型研究予算では、一件あたり数億もの予算が付いたりしています。

 その予算が適切に使われているかというと、今までの人生経験上、そうではないケースを多く目にしてきました。必要性に乏しい大規模国際会議の用意や参加などは、そのもっともたるものです。そんなに会議したいのか? 年度末に予算が余ったら、必要性に乏しいやたらハイスペックで趣味的なPCをあるだけ買いそろえる。更新の必要性に乏しい機器や設備を、予算消化のために買い換える。予算の目的は研究環境の向上であるはずなのに、とにかく予算を100%消化して財務省に目をつけられないようにすることにすり替わっています。・・・などということを目にしてきました。

 メリハリの研究予算制度自体は否定しません。報道でよく目にするように、日本国の研究競争力は落ちていますから。競争原理は必要でしょう。

 しかしそのためには、最も基本的である、人とコンクリートに目を向けるべきではないでしょうか。

 一時期、「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズが流行りました。

 いえいえ、コンクリートは必要ですよ。だって、研究するスペース自体問題です。

 人も無論です。何事も結局最後は、「人」なのですから。

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