先日、ある女性の中央官僚さんとお話をする機会を得ました。その中で、「霞ヶ関での周りはみんな東大などの高学歴ばかり。でも、3割は非常に優秀だけど、7割は使えない」と仰せでした。人物評価というものは女性の方が客観的だと思いますので、正鵠を得ているのかと。男性は嫉妬に狂うからなぁ。これを聞いて「その7割は受験マニアの人達だな」と思い、質問しました。同じご意見でした。
日本は島国で人の移動も少なく、歴史的に平和が長く続いたため、平等主義が発達しました。一見、良いことです。しかしその反面、手段と目的を反対に扱うようになりました。
目的、つまり行き着くところの成果を評価対象にすると、当然優劣が生じます。しかしその判定評価は、新たに生み出した「成果」という評価の定まっていないものでは、人によって異なります。すなわち、争いのタネとなり得ます。
一方で、試験という「過去のおさらい」をすれば、評価は安直に確定できるので、基準を一定にできます。
お隣の中国では1300年もの間、「科挙」という試験制度を実施してきました。広大な国土で、縁故を排除するには仕方たなかった制度と思います。縁故により政治が悪化するのは、中国の歴史の本を読めばたくさん事例が出てきます。結構エグいですけど。
中国から「そこそこ」離れた日本では、このような試験制度を「そこそこ」取り入れました。結局は無難な縁故採用が幅を効かせたのですが(Yes, 藤原北家!!)、島国の平等主義から、中国ほどの縁故による政治の悪化は見受けられません。
以上を踏まえて、身の回りを考えます。就職内定(内々定)で天下を取った気になる学生さん達は、今も昔も多いです。昔の高専だよりを読んでみると、これに対する当時の教員の苦言が書いてありました(第52号(1983.5/31)のp.6~)。歴史は繰り返しますね。
就職先で何をするかを問うのではなく、内定を得たことが評価対象になる。正に、手段と目的の履き違えの典型例ですね。会社は過去のおさらいを期待しているのではなく、未来を作ってくれることを期待しているのですがね。温故だけではなくて、温故知新です。未来を作ることに対してお金という評価が得られるのであって、お金は天から降ってこないのになぁと。初任給で人生全てが決まるのでしょうかね~。いやいや、歳を取りました。
試験勉強から試験に臨む学生さん達を見ていると、3割は理解を深めようとしています。7割はとにかく暗記です。たぶん。そう、冒頭の官僚評価と同じですね。7割側の人のテスト点数が3割側の人より高い場合もあるでしょう。だって、7割側のやり方の方が試験に対しては即効性があるから。試験の成否だけでは、人の真の実力は見えてきません。未来をつくれるか否か?
グローバルな現在の社会、手段と目的を整理しないと負けますよ。・・・て、既に日本企業は負けまくりか。トホホ・・・。
私は3割の人向けに授業を組み立てます。とすると、数の多い7割の人からのクレームが目立つでしょう。でも仕方ないのかな。3割の人が7割の人を助けることはあっても、その逆はないですからね。
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