オリンピックとマスコミと価値観と人の幸せ

 そういえば、オリンピックが閉幕しましたね。結局ほとんど見ませんでした。いや別に、開催に反対とかではなく、単に興味がなかったのと、前期授業のまとめをしたり、後期授業の準備を考えていたりして、時間がなかったからです。

 自分の時間を大切にしたいお年頃になったので、特に必要でないことには時間を割かないようにしています。若いときは、見聞を広めようと、色んなチャレンジをしては色んな失敗を積み重ねてきました。無理な人間関係を構築しようとしては、失敗もしました。思い返すと後悔することや恥ずかしいこと、たくさんありますよ。

 でも、もう枠を広げるのは十分です。今後の人生は枠を絞って、一つ一つを大切に、かつ深く考えていくようにしています。嫌なことは断り、無理をせずに、着実に。

 自分は自分、他人は他人です。

 「艱難辛苦汝を玉にす」とは言われますけど、いやもう十分経験してきたとは思うんですよね。

 さてオリンピックですが、ふとテレビをつけますと、選手達が早速マスコミのオモチャにされつつありますね。競技を極めても、それで長い人生を生活していくのは難しいからでしょうか。もしくはマスコミに取り囲まれたことで、承認欲求が暴走しているのでしょうか。

 ま、いずれにせよ、マスコミと関わるとロクなことにはならないことは申すまでもなし。

 学校の部活動を見てくれるなり、地域スポーツに貢献するなり、一流スポーツ選手のその後の需要はたくさんあると思うのです。しかしその前に、日本の体育会精神論を壊さなくちゃね。そもそも美容と健康のためにスポーツをするのであって、楽しさがベースになくちゃ。

 走るんだって、泳ぐんだって、人と競争しなければならない義務ってあるんですかね? 点取りゲームの球技はしょうがないでしょうけど。競いたい人は競えば良いし、楽しみたい人は楽しめば良いんですよ。マスコミによる一元的な報道で、価値観を皆揃える必要はなしです。

 全チャンネルをオリンピックにする必要あります? あれ?、そもそも彼らは開催に散々反対してなかったっけ? 

 また、マスコミ自身の不祥事や捏造報道で世間が騒いでいるようですね。テレビをほとんど見なくなったので、別世界の出来事のようですけど。お仕事大変ですね。

 でも、そういう話題が出るということは、社会が健全なのかなあと。インターネットの発達により、個人誰もが簡単に公言できるようになり、マスコミによる公言の独占権・独裁権、すなわちハーメルンの笛は消え失せました。

 人は、自分の進みたい道を見つけて、その道を自由に歩むことができれば、一番幸せなのだと思います。

 日本は物質的にとても豊かな国なのに、国民の幸福度は高くありません。

 それは、価値観の多様性を認めないことなのかと。

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