難しい学問

 申すまでもなく、教員は学問を教授するのが仕事です。わかりやすく教授するのは、腕の見せ所です。しかし高等教育ともなると、内容も高度になり、一筋縄ではいきません。誰しも暗中模索、試行錯誤しています。

 学校は、時間をかけてその難しい学問を修めるところです。難しさを克服するには、自分で乗り越えなければならない壁が存在します。教員はその幾分かのサポートはできますが、最後は自身の力です。

 「私が分からないのは、教えるお前が悪い」という人達がいます。私が歳を取ったのか、そんな人達が昨今多い気がします。しかしその人達から、自分の努力を聞くことはありません。

 自分を振り返れば、高校から大学に入ったとき、全く分からず挫折しそうになりました。大学4年になって研究室に入ったとき、研究が授業で行っていない内容ばかりだったので、挫折しそうになりました。博士号を取って、博士研究員(ポスドク)として新規研究の立ち上げを任されたとき、何も知らない分野で、途方に暮れました。都度都度、壁にぶち当たってきました。

 しかし教える側の責任にしようと思ったことは、一つもありません。それは良い子でありたいということではなく、負けず嫌いのプライドです。何とかしがみついてやろう、何とか乗り越えてみせよう、見返してやろうと考えていました。そして、私の方がより理解し、他人により分かりやすく教えられるようになろうと思っていました。アナタの地位は私が奪うのだと。

 若い頃、何でも知っており、何でも答えられる先生方が羨ましかった。何とか追いつき、追い越したいとがむしゃらに突き進んで来ました。

 それって変なのかなあ。

 いつの間にか、自分が答えるべき地位になりました。だけど、道を進むにつれて、分からないことはまだ無数にあるということが分かるようになってきました。

 分かりやすさって、何なのでしょうかね。

 Heaven helps those who help themselves.

 

 

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