学部4年&大学院博士前期課程(修士)時代の研究室の恩師が工学部長&工学研究科長になられた、という報告が同窓会より入ってきました。
う~ん、尊敬する方ではありますが、こういう重役に就かれるとは考えてもみませんでした。
私が居た頃は、人も少ない小さな研究室で、表に出せないトークもたくさんしていました。
月日は経つものですね。
私もこの先どうなるんでしょうか。ぬくぬく講座制の下ではなく、個人研究室を主催することになったこと事態があり得ないことなんですけど。
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学部4年&大学院博士前期課程(修士)時代の研究室の恩師が工学部長&工学研究科長になられた、という報告が同窓会より入ってきました。
う~ん、尊敬する方ではありますが、こういう重役に就かれるとは考えてもみませんでした。
私が居た頃は、人も少ない小さな研究室で、表に出せないトークもたくさんしていました。
月日は経つものですね。
私もこの先どうなるんでしょうか。ぬくぬく講座制の下ではなく、個人研究室を主催することになったこと事態があり得ないことなんですけど。
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資金と人材を得て、研究方面は現在ノリノリです。ただし、「好事魔多し」とは言われますから、締めるところは締めないとは思います。
これまでの人生、人並みの艱難辛苦は経てきましたので、現在をとても、人一倍、有り難く思います。若い時分、様々な艱難辛苦を受けている最中は、「俺は世界で一番不幸な人間か!!」とはよく思ったものです。しかし、その長い長いトンネルはある日突然抜けてしまい、気がつくと、自分は色んなことができるようになっていました。何事も耐えられ、切り抜けることができるようになっていました。
艱難辛苦を受けることは、遠回りの人生となります。誰しも、順風満帆な人生を歩みたいものです。しかしそんな境遇から学ぶことは、多々あります。
大切なことは、その目下の不幸を嘆くことではなく、そこに隠されている将来の成功のチャンスを見出すことです。そうすれば、どんな不幸も彩りを変えられます。
順風満帆な人生は、皮肉にも、その人を貶めます。歳を経て、若人の艱難辛苦を理解できない、上から目線onlyの困ったお年寄りになってしまいうという、人生最大の不幸とは私は無縁かと思います。
若いときは誰しも、早く花を咲かせたいと思うものです。他人と比較し、咲かせられないことを嘆き悲しみます。しかし、時間をかけてから咲いた花は、何よりも美しいものだと思います。
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ただいま、怒濤の研究室整備に追われています。
ふと気がつくと、私は研究室主催者となっています。一国一城の主です。いつの間にやら。
学生時代の研究室は、旧帝大の伝統に従う講座制でした。つまり、教授の筆頭に、助教授・助手・秘書という複数の教職員が一つの研究室を構成していました。
一方、他の大学は、教員一人で研究室を主催するスタイルが普通です。海外なんかもそうですね。
「一人で研究室を主催するなんて、ムリムリムリムリ~」と、学生時代から思っていました。大教授の下でぬくぬくと生きていくのが理想でした。純粋に自分の研究だけを考えて。
でも我が人生、そう自己中的に思ったことは、必ず逆の事実が降ってきます。そう、一人で研究室を運営することです。
研究方針だけでなく、学生さん達への研究テーマ割り振りに教育指導、予算の獲得などなど、研究室運営は様々な仕事があります。日々暗中模索です。
そんな理想とは真逆の現実の困難に悪戦苦闘しながら、何とか一期生を送り出しました。
共同研究者に恵まれ、装置も揃い、予算も獲得しました。
あれ? いつの間にやら城主です。
人生、何とかなるものですね。
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今年度から、4年生エネルギーコース(4E)の担任となりました。
目下、たまらなく忙しいです。「忙しい」ということを他人に言うのは好きではないのですが、まぁ忙しいです、ホントに。
併行して、研究室の整備もしていかなければなりません。装置も移設でき、実験の立ち上げへ向けて、諸々の準備に追われています。
帰宅したら即爆睡し、夜明け前に目が覚めて仕事始めます。電灯のない、平安時代の勤務体系かな。
一般的には寝ている時間から、諸事連絡を飛ばします。悩んで眠れていないのではなく、早く寝るので、早く目が覚めるだけです。
5月になったら、少しは落ち着くかなぁ・・・。
幸いなのは、学生の皆さんが揃って優秀であることです。助かります。一人だったら確実に潰れています。
研究室と4Eの学生さん達を、相応の実力を付けさせて世に出すことが使命です。
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社会見学もそこそこにして、移設作業に入りました。装置の計器類を取り外し、電気配線も外しました。電気系の学生さんですから、お手の物でした。私は見ている人でした。
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東北大学からCVD装置を移設する最終作業のために、またまた仙台を訪れました。
西鉄大牟田駅を発ち、福岡空港から仙台空港へ飛行機に乗り、空港からは鉄道を使って仙台駅に着きました。
まずは腹ごしらえです。
作業の前に、震災遺構を見学しました。仙台東部道路を抜けて、太平洋に面した荒浜地区の旧荒浜小学校に着きました。
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先の休日、ふと思い立って、佐賀県の有田町に行きました。そう、有田焼の有田です。
Google Mapさんで調べてみると、有明沿岸道路のおかげで、有料高速道路を使わずとも、2時間かからずに行けることが分かりました。
出発して、有明沿岸道路を快調に進みました。一本道の有明沿岸道路は、自動運転には最適です。大牟田沿岸の工場地帯を過ぎると、眼下には広大な有明海干拓地が見えました。現在終点の大野島ICで下りて、佐賀平野を進みました。広大な平野は、山がちな郷里広島では見られない風景です。こんな広大な平野、はたまた逆に、山形のような四方を高峰に囲まれた盆地を通る度に、そこに住むとどんな気分になるんだろうかと思います。
国道から脇道に入って着いた有田は、小さな町でした。各店に所狭しと焼き物が並んでしましたが、我が王子が不満を体現するので、ゆっくりとは見られませんでした。一枚、いや十枚足りなくなったら困りますので。
まだ早かったですね。
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週末は卒業式でした。
こちらに来てから、初めて授業を持った学年でありました。着任早々コロナで、顔も何も知らないまま遠隔授業から始まりました。
高専というものをよく知りませんでしたので、試行錯誤の日々が彼らに迷惑をかけたと思います。
全体の式の後は、コース別の式でした。私は通路の傍らに座るただの列席者であり傍観者の一人でしたが、一人の学生が私の前を通って、深々と礼をしてくれました。ま、私にはそれで十分かなと。
大切なことは、知識や経験を笠に着て、上から目線で学生の人生を決めつけることではありません。例えそれが正しかったとしても。そうではなくて、同じ目線で対等に付き合うことだと思います。言いたいことを言うと同時に、言いたいことを言わせる。
間違えることは、予防接種みたいなものです。正しさだけを一方的に植え付けても、育ちはしません。角を矯めて牛を殺すだけです。答えは自分で見つけるもの。
しかし、そんなことも何歳までできるかなーと思いつつ。歳を経て立場が重くなっていけば、そうも言ってられません。
最近流行の言葉で言い換えると「寄り添う」なんでしょうが、この言葉も上から目線の印象を拭えませんね。
「教うるは学ぶの半ば」です。
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春休みの読書、斎藤 幸平先生の「人新世の『資本論』」を読みました。頭の中で長年もやもやしていたことを氷解させることができました。非常な名著だと思います。
遠回りに感想を述べていきます。
前職では会社で働いていました。会社の目標と言えば、取りも直さず、「利益を上げること」です。利益を上げて、共に働く仲間達と生活を豊かにしていくことです。一見、至極当然のことだと思いますが、心の中はもやもやし続けていました。それは、「どこまで行ったら、我々は豊かになるのか?」ということです。
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「令和3年度日本表面真空学会東北・北海道支部学術講演会」を、研究室学生さん達と共にオンライン聴講しました。改装中の研究室に上映スペースを作りました。
今の仕事は広島大学時代に種を蒔き、東北大学時代に花が咲きました。その縁もあって、参加しました。オンライン学会というものは元来好きではないのですが、遠く離れた支部講演会なんてまず聴く機会がないので、この場合は便利ですね。
そう、この春休み、研究室は目下大改装中です。乞うご期待です。
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