Author Archives: 鷹林 将

CVD装置移設への旅(その1)

 東北大学からCVD装置を移設する最終作業のために、またまた仙台を訪れました。

 西鉄大牟田駅を発ち、福岡空港から仙台空港へ飛行機に乗り、空港からは鉄道を使って仙台駅に着きました。

 まずは腹ごしらえです。

仙台で定食と言えば、「半田屋」さんですね。これでごはんのサイズは「小」です。

 作業の前に、震災遺構を見学しました。仙台東部道路を抜けて、太平洋に面した荒浜地区の旧荒浜小学校に着きました。

同行した研究室学生さん達です。
Continue reading

Views: 18

そうだ、有田へ行こう!!

 先の休日、ふと思い立って、佐賀県の有田町に行きました。そう、有田焼の有田です。

 Google Mapさんで調べてみると、有明沿岸道路のおかげで、有料高速道路を使わずとも、2時間かからずに行けることが分かりました。

 出発して、有明沿岸道路を快調に進みました。一本道の有明沿岸道路は、自動運転には最適です。大牟田沿岸の工場地帯を過ぎると、眼下には広大な有明海干拓地が見えました。現在終点の大野島ICで下りて、佐賀平野を進みました。広大な平野は、山がちな郷里広島では見られない風景です。こんな広大な平野、はたまた逆に、山形のような四方を高峰に囲まれた盆地を通る度に、そこに住むとどんな気分になるんだろうかと思います。

 国道から脇道に入って着いた有田は、小さな町でした。各店に所狭しと焼き物が並んでしましたが、我が王子が不満を体現するので、ゆっくりとは見られませんでした。一枚、いや十枚足りなくなったら困りますので。

 まだ早かったですね。

Views: 4

研究室改造工事

 プラズマCVD装置搬入を前にして、実験室の改造工事を行いました。200 V三相電源と真空ポンプ排気用ファンの取り付けを行いました。

 Eの教員とはいえ、そんな工事の才能はございませんので、E科OBの(株)森田電工様に工事をお願いしました。私と研究室学生は、向学のため見学です。

天井裏に配線を通します。
テキパキ進められます。
新しい200 V三相の分電盤です。

 今は教える学生でも、年月が経てば攻守逆転です。仲良くしておきましょう。

Views: 20

卒業式 ~ 教うるは学ぶの半ば ~

 週末は卒業式でした。

 こちらに来てから、初めて授業を持った学年でありました。着任早々コロナで、顔も何も知らないまま遠隔授業から始まりました。

 高専というものをよく知りませんでしたので、試行錯誤の日々が彼らに迷惑をかけたと思います。

 全体の式の後は、コース別の式でした。私は通路の傍らに座るただの列席者であり傍観者の一人でしたが、一人の学生が私の前を通って、深々と礼をしてくれました。ま、私にはそれで十分かなと。

 大切なことは、知識や経験を笠に着て、上から目線で学生の人生を決めつけることではありません。例えそれが正しかったとしても。そうではなくて、同じ目線で対等に付き合うことだと思います。言いたいことを言うと同時に、言いたいことを言わせる。

 間違えることは、予防接種みたいなものです。正しさだけを一方的に植え付けても、育ちはしません。角を矯めて牛を殺すだけです。答えは自分で見つけるもの。

 しかし、そんなことも何歳までできるかなーと思いつつ。歳を経て立場が重くなっていけば、そうも言ってられません。

 最近流行の言葉で言い換えると「寄り添う」なんでしょうが、この言葉も上から目線の印象を拭えませんね。

 「教うるは学ぶの半ば」です。

Views: 15

MMTと人新世と真の豊かさ

 春休みの読書、斎藤 幸平先生の「人新世の『資本論』」を読みました。頭の中で長年もやもやしていたことを氷解させることができました。非常な名著だと思います。

 遠回りに感想を述べていきます。

 前職では会社で働いていました。会社の目標と言えば、取りも直さず、「利益を上げること」です。利益を上げて、共に働く仲間達と生活を豊かにしていくことです。一見、至極当然のことだと思いますが、心の中はもやもやし続けていました。それは、「どこまで行ったら、我々は豊かになるのか?」ということです。

Continue reading

Views: 8

オンライン学会聴講 in 改装中

 「令和3年度日本表面真空学会東北・北海道支部学術講演会」を、研究室学生さん達と共にオンライン聴講しました。改装中の研究室に上映スペースを作りました。

改装中研究室での特設上映ステージです。

 今の仕事は広島大学時代に種を蒔き、東北大学時代に花が咲きました。その縁もあって、参加しました。オンライン学会というものは元来好きではないのですが、遠く離れた支部講演会なんてまず聴く機会がないので、この場合は便利ですね。

 そう、この春休み、研究室は目下大改装中です。乞うご期待です。

Views: 6

熊本城雑感

 先の休日、ファミリーで熊本城に行きました。

熊本城天守閣でござる。

 熊本県民なので、やはり熊本城にご挨拶はしておかないとですね。地震のためとはいえ、遅ればせなんですけど。でも、家のテレビでは熊本県域放送の映りが悪いんですよねー。福岡県はおろか、佐賀県の放送まで入るのに。

 実は私、熊本城は2回目です。学生時代最後の学会(電気化学会第72回大会)が熊本大学であったので、そのついでに見学していました。電気化学を離れて幾久しいですが、今も研究のベースには電気化学の考え方があります。当時九州新幹線は全通していなかったので、博多からリレーつばめに乗って。まさか途中の大牟田で働くことになろうとは、全く思いもしませんでした。

Continue reading

Views: 5

アルバイトと品質保証責任

 学生さん達の中には、アルバイトをしている人達がいます。そのこと自体はどうこう思いませんが、過度に行って本業である学業に支障を来す人達が中にはいまして、これは問題です。

 そんな人達がアルバイトをする正義に挙げる理由として、「社会経験を積む!!」というのがあります。しかし企業人だった立場から言わせてもらえれば、「それは社会経験にはならない!!」です、はい。

 働く、すなわち社会に対して生産やサービスで貢献する際、必ず「製造者責任」、言い換えれば「品質保証責任」が伴います。お客様が安心・安全に生産・サービスの利益を享受するためには、必要不可欠な責任です。だって、不良品、例えば毒入りがあるかもしれない食品なんて、誰が買いますか? 社会が崩壊しますよ。

 アルバイトには通常、このような品質保証責任は問われません。好きなときに働いて、好きなときに休み、好きなときに辞めることに、品質保証なんてものが付いてくるはずがありません。品質保証責任のない労働なんて、社会貢献にはならないし、社会経験にもなりませんよ。アルバイトを履歴書に書きますか?

 雇用主の立場からすれば、経営の根幹に関わるような重要業務にアルバイトをつけることはありません。だって品質保証してくれないし。末端の仕事を、安い賃金で行わせているだけです。それ、社会経験??

Continue reading

Views: 11

無事着陸 or 不時着、そしてFTA

 後期授業が終了しました。今期は、CLコース出張を含む新規科目に初の研究室卒業生と多忙でした。どうなることやら・・・と頭を抱えていましたが、まあ何とか無事着陸しました。いや、最後の最後でコロナで大混乱でしたので、不時着かな。

 さて、どんな仕事も、「人のため」を第一義に考えていると、モチベーションが続かないと思います。「何て自分勝手な人なんですか!!」って? いやいや、これ、「人間の本能」だと思います。

 人のためを前面に出し続けていると、何らか不都合が生じたとき、「お前達のためにやっているんだ!!」と傲慢になります。本末転倒ですね。人様のためが、何様のつもりですか、と。

 人のためって、やりたくもない仕事を自身に納得させるための自己暗示かな、と。ちょっと、極端かな。

 しかし、「自分の成長のため」を第一義に持ってくると、続きます。そう、仕事の中に自分の成長の糧を見つけ出せる人は、とても幸せだと思います。どんな裕福さにも勝ります。

Continue reading

Views: 8

価値観の成熟

 電気磁気学関係の授業ではよく、「Maxwell方程式は、ノーベル物理学賞100年分の価値がある」と話しています。同時に、「ハーバー・ボッシュ法は、ノーベル化学賞100年分の価値がある」とも話しています。

 Maxwell方程式は、これまで紹介している通り、人類が文字のない太古の時代から全くの別物として扱ってきた「電気学」・「磁気学」・「光学」を統一し、現代社会には欠かせない無線工学の境地を切り拓きました。

 ハーバー・ボッシュ法、すなわちN2 + 3H2 → 2NH3は、空気中の不活性な窒素分子(N2)からアンモニア(NH3)を合成することを可能にしました。アンモニアから窒素肥料(硫酸アンモニウム((NH4)2SO4)など)の増産ができて、人類から飢餓がほぼ消えました。現代に残っている飢餓は、天災よりも紛争などの人災のためです。これに関しては、人類の更なる叡智に頼るしかありません。

Continue reading

Views: 18

オレンジジュースとリンゴジュース

 子供の頃、まだオレンジ自由化(1991年)がなかったころのお話です。米国からの牛肉とオレンジの輸入自由化要求は、当時大変な社会問題となっていたのを記憶しています。結局自由化は実行されて、以降、農産物のブランド化が推進されて、現在に至ります。

 翌1992年にオレンジ果汁の輸入自由化がされるまで、オレンジジュースは高嶺の花でした。現在は果汁100%が当たり前で、しかもコンビニで手軽に安く買えますが、当時は100%なんて高級品でした。

 しかし年に数回、オレンジジュースを無料で飲みまくることができるイベントがありました。某家電メーカーの小売店が、地域店共同で行う製品の「展示会」です。そこはメーカー新製品の一大展示販売会で、まだ高度成長の余韻の残る時代でしたから、毎回毎回の新製品は注目でした。それと同時に、サービスでオレンジジュースを無料で飲むことができました(※100%だったかは実は不明)。新家電とオレンジジュース、我が家の一大イベントでした。

Continue reading

Views: 14