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企業と高専

 何回か投稿しています(これこれ)が、各高専には企業のサポーター集団みたいな組織があります。有明高専では、有明広域産業技術振興会という名称です。会には、地元大牟田・荒尾の企業を中心に100社を超える企業がメンバーとなっています。

 目下、少子高齢化を主要因として、世の中は人手不足が社会問題化しています。各企業においては、人材確保は非常なる死活問題と化しています。「仕事はたくさんあるんだけど人手が足りない!!」という声に満ち満ちています。受注を断らざるを得ない状況だそうです。

 逆の視点から見れば、学生側としては売り手市場です。学生達を預かる学校・教員側としては助かります。

 しかしながら、教員は只々お茶を飲んで佇んでいてはならず、企業とコミュニケーションを常にして、世の中のニーズや動向の情報収集に努めていかなければなりません。そして得た情報を教育活動へとフィードバックしてUpdateに務めていかなければなりません。人材は頭数があれば良いというものではありませんから、どのように学生達を導いていくかという試行錯誤の日々は終わりません。

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バスセンターと駅

 カレーで有名な新潟の万代シテイバスセンターは、信濃川沿いで市内繁華街に近くにあります。万代シテイという複合商業施設の中心にあります。新潟の街頭インタビューでよく出てくる場所ですね。新潟駅から歩いて行けない距離ではないですが、少し離れています。個人的に、大阪の千里中央に雰囲気が似ています。

万代シテイです。千里中央に雰囲気が似ています。

 しかしながらバスセンターは、現在の視点からは狭い感があります。天井も低めです。センター内に全てのバスは入れず、周辺の道路沿いにもバス停が点在しています。

 応物会場の朱鷺メッセへは、新潟駅から万代バスセンターを経由するバス(佐渡汽船線)で行ったのですが、気になる点がありました。それは、バスが右折でセンターに入らなければならない動線です。これでは交通渋滞を引き起こすよなと。広島バスセンターはその点動線が整理されています。歴史は似たようなものですが、違います。

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夏と共に去りぬ

 今回の応物で研究発表は5件が限界であることを身を以て知り、研究室への専攻科生受け入れは最大5名までだなと悟りました。今は3名です。

 研究室としては、5年生は地方大会(支部大会)、専攻科生は全国大会で登壇することを最低限の目標に掲げています。しかしながら今年度は既に5年生2名は全国デビューして、専攻科生は国際会議までも経験済みです。さらには全員受賞もしています。

 我が学生達ながら、敬服です。国際会議や全国大会という大舞台では、年齢も学歴も関係ありません。よほどのプレッシャーであったことは想像に難くないですが、彼らにとっては十分な成長の舞台になったことと思います。

 内容によってはデータや学会での議論も煮詰まってきましたので、あとは私が論文にしていく作業が残っています。論文執筆は一番やりがいがある仕事ですけど、一番大変な仕事でもあります。

 学生さん達の学会発表に拘るのには理由があります。以前にも述べたように、とある大学院の先生に「専攻科出身者は使えない」と言われたことがあるからです。残念ながら、けだし至言です。専攻科生を受け持つ身としては、胸に突き刺さります。

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応物 in 新潟

 応物に新潟へ来ています。研究室一同で来ています。全員初めての新潟県です。

 学会へ来て発表すると、なんてことないことをミスっていることに気づかされます。

 学会って何するところかというと、「目を覚ます」ところかと思います。日々の業務に疲れ果てているとはいえ、片手間となってしまっている研究活動を恥じ入るばかりです。

 研究しなければ、苦しむことも悩むこともないんでしょうが、それらがない人生っていうのは退屈かもしれません。体育会系の部活動と一緒なんかなぁ。

 タレカツバスセンターのカレーで心癒します。

米(まい)ちゃんと米(まい)るくんがお出迎え。新潟と言えば、やはり米ですよね。
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学会発表と研究活動

 今週は応用物理学会です。今回は新潟開催で、明日9/17(火)に移動して翌18(水)から途中参加です。フル日程は何かと通常業務に支障を来しますし、予算もね・・・。

 今回は研究室から5名5件の発表としました。学生6名と私の総勢7名の小さな研究室から5件です。何とか準備が間に合いました。命削りました。5件という数は初めてですが、ここが限界です。「研究を精力的に進めたい!!」というよりも、学生さん達に学会活動を通じて広い世の中の何かを学び得てほしいと、頑張りました。何も学会活動が全てではないですが、私にできることといったら先ずはこれかなと。

 研究室を開いて早いもので、学生さん達は4代目です。年月を積み重ねていくことで、チームとして上々の仕上がりとなってきました。今や、20歳前後と非常に若いながらも、世の誰に対しても誇ることのできるメンバーだと自負しています。この歳になると、自身が先陣を切るよりもマネージメントの方が楽しく感じたりします。否、先陣を切るのは、万物を創造できる化学者としての誇りですけどね。

 「化学はCentral Science」です。学生時代に有機化学の講義で聴いたフレーズで、今でも心に響いて忘れません。今は電気系にいますけどね。精密制御できる電気エネルギーをCentral Scienceにどう繋げるか。電気化学で博士号を得た私の研究に対する根本思想です。

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運転免許更新とJAF20年

 先日、運転免許更新に熊本県運転免許センターへ行ってきました。ずっと無事故無違反のゴールド免許ですので、5年ぶりの更新です。ただし、前回の免許更新は、広島県福山市にある広島県東部運転免許センターで行いました。その前は宮城県仙台市の宮城県運転免許センターででした。さらにその前は広島県広島市の広島県運転免許センターでした。免許更新の度に引っ越すので、常に住所変更の裏書きありの免許です。

運転免許センターという建物は、何故かどこも豪勢ですよね。
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第一種電気工事士と認定電気工事従事者

 今R6(2024)年度から第一種電気工事士試験は、第二種と同じく年2回(上期と下期)行うこととなりました。電気工事士は近年の少子高齢化により不足が懸念されているため、社会的ニーズが高い資格の一つです。かくいう私は以前報告の通り、電気系で教えていることあって受験しまして、上期試験で合格したわけです。ヘルニアのおまけ付きでね。九州地区においては、学科試験の合格率が58.4%、続く学科試験合格者による技能試験の合格率も偶然に同じ58.4%ですから、最終合格率は34.1%の狭き門でした(※電験合格者は学科試験免除ですが、その数は非公開ですので単純計算しました)。

 電気工事はもちろん危険を伴うため、電気工事士法により規制されています。たとえ自宅においても、違法となります。第二種は、電力会社から低圧(600 V以下)で受電する場所の配線や電気使用設備等の一般用電気工作物等の電気工事の作業に従事することができます。その上位資格である第一種は、第二種の範囲に加えて、自家用電気工作物のうち最大電力500 kW未満の需要設備の電気工事に携わることができます。

こちらは第二種です。
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2年生シンガポール研修旅行(4/4)

 4日目最終日はホテルをチェックアウトの後、揃ってGardens by the Bayという国立公園に行きました。中には植物園があるので、地元の人達には2日目に行ったシンガポール植物園と比較して「新しい方の植物園」とも呼ばれているそうです。とはいえ、植物園は入場料がそこそこしますし、2日目でもう十分満足したので、園内を散策することに留めました。

入口で記念写真。暑いのでタオルは欠かせませんよ。
名物のSupertree Groveです。
マリーナ湾のほとりから都市部を臨みます。
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2年生シンガポール研修旅行(Special Version)

 一日遡って2日目の話の続きです。2日目は先に述べたマリーナ・バラージとシンガボール植物園の他に、シンガポール国立博物館にも行きました。そこではシンガボールの歴史について学びました。

 シンガポールが有史に現れてくるのは14世紀と遅く、サンスクリット語で「ライオンの町」を意味する「シンガプーラ(Singapura)」という名称が出てきます。その英語読みがシンガポールとなっています。Lion Cityですね。

 それから時を得ず大航海時代に至って、ポルトガルが侵攻してきました。1613年にポルトガルによりシンガポールの街は焼き払われて、以後200年間忘れ去られることになりました。ポルトガルはその後、後進のオランダによって放逐されました。

 1819年にイギリス東インド会社のイギリス人であるトーマス・ラッフルズがシンガポールに上陸しました。間もなくシンガポールはイギリスの植民地となりました。彼は自由港政策を推し進めて、現在に至るシンガポールの礎が作られました。ラッフルズは、シンガポール人が忘れてはならない人物の一人です。その後中国南部や南インドからの移民が進み、現在の多民族国家の原型となりました。

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2年生シンガポール研修旅行(3/4)

 シンガポール3日目は、自由行動の日でした。学生さん達は小グループに分かれて、現地大学生と一緒になって、街へ出かけていきました。

 私はというと、留守番を買って出ました。教員の誰かが留守番&緊急時対応者として必要でしたので。悲しいかな、科研費を含めて多くの仕事があったので、ホテル部屋に引きこもって仕事しました。それに、現代都市国家なので、個人的に行きたいところはさほどないかなーと・・・失礼。

 にしても、学生さん達は元気ですね。定時経過報告では、皆遊びまくっていました。

 昼はホテル向かいのバーガーキングとしました。物価の指標として。ワッパーのセットが約9 SGDでしたから、120倍して約1100円。日本だと900円くらいですから、少し高いですかね。アメリカよりは大夫マシですけど。逆に言えば、日本の物価って低すぎますね。やっぱ金融緩和による景気向上は必要ですよ。

バーキンで物価調査です。
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2年生シンガポール研修旅行(2/4)

 シンガポール2日目。まずは揃ってマリーナ・バラージ(Marina Barrage)へ行きました。マリーナ・バラージは、シンガポール海峡へ注ぐマリーナ湾を堰き止めてできたダムです。Barrageという語が「堰き止め」の意ですから、敢えて訳せば、「堰き止め港」と言った感じでしょうか。

 シンガポールの国土面積は719 km2です。日本で例えると、淡路島(593 km2)、琵琶湖(669 km2)、東京23区(628 km2)よりやや大きく、沖縄本島(1207 km2)より小さいです。この狭い土地に600万人もの人々が住んでいます。本籍広島県で学生時代を大阪で過ごした私としては、琵琶湖にこれだけの規模が収まるのかと思うと不思議です。でも東京23区は人口が約1000万人で羽田空港もあるわけですから、驚くことはないのでしょうか。

 国土最高地点はブキッ・ティマで163 mと低いので、川の流れは穏やかで、阿蘇山の恵みによる熊本市のような伏流水は期待できません。当然600万人の飲料水確保が問題となります。

 マリーナ湾は前日訪れたマーライオンを含みます。この湾をマリーナ・バラージで堰き止めることにより、湾を丸ごとダムにして、洪水対策だけでなく貯水池ともしているわけです。その他、国内には至るところに貯水池があります。マレーシアからも原水をパイプラインを通して買っていますが、政治的にあまり宜しくない間柄なので、飲料水確保は最重要政策です。

マリーナ・バラージです。右がシンガポール湾で、たくさんの貨物船が見えます。さすが海上国際貿易の要です。
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2年生シンガポール研修旅行(1/4)

 8/25(日)~29(木)の間、2年生とシンガポールへ研修旅行に行ってきました。有明では研修旅行という名称を使っていますが、一般に修学旅行と言わているものと同等です。国立高専全体として進めている国際化教育の一環として、行先は海外シンガポールとしています。

 有明は2年生後期から専門コース教育が始まる総合学科制を取っていますので、まだ学生さん達はコース配属前です。そのため運営主体は一般教育科の先生方ですが、専門コースからも人員を出します。私は今年度のEコース代表として参加しました。遊撃的な立場です。私自身、シンガポール、というか東南アジアは初めての経験です。一学年5クラス200人ですので、3・4・5組のA団と1・2組のB団に分かれて、一日ずらしての計画となっていました。私は先発のA団約120名の学生さん達と一緒になりました。

 飛行機は福岡空港発着のシンガポール航空直行便でした。往路は朝早く空港に7時半集合のため、前日24(土)は久留米に宿泊しました。だって、間に合わないから。

 西鉄久留米駅1Fのバスセンターを朝イチのリムジンバスで出発しました。朝イチながら、満員でした。途中の高速バス停で乗る人達は補助席を使わなければならない混雑ぶりでした。ただし、ほとんどの人は国内線の利用でした。福岡空港は国内線と国際線のターミナルが滑走路を挟んで東西に分かれているので分かります。バスは国内線ターミナルを経由して、終着は国際線ターミナルです。

夜明け前の西鉄久留米バスセンターです。朝イチのリムジンバスがやって来ました。
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